ヨーロッパブラ歩き その2
ヨーロッパブラ歩きの2回目はライオンの丘を紹介します。
ライオンの丘はナポレオンの最後の戦いとなったベルギーのほぼ中央のいなかにあるワーテルローの戦場跡に作られた人工の丘です。ワーテルローはWaterlooと書き、英語読みだとウォータールー、フランス語読みだとワーテルローになります。ここベルギー以外にもアメリカ、カナダ、オランダ、イギリスなど各地に同じ地名がありますが、ここが一番有名だと思います。
ちょっと簡単に歴史を。1812年のモスクワ侵攻で手痛い敗北を期したナポレオンはその後もつづく敗退で1814年にエルバ島に流されルイ18世が王政復古で王位につきますが、旧態依然とした王政であったことから人心は離れ1815年2月にナポレオンが再びパリに戻ってフランス皇帝の座につきます。そして最後のワーテルローの戦いに臨むことになります。ウェリントン将軍率いるイギリス・オランダ連合軍とナポレオンのフランス軍の戦いは前日の小競り合いに引き続き6月18日それぞれ7万の軍隊でほぼ互角の勢力でぶつかりました。結果ご存知の通りナポレオンの2度目かつ最後の敗北となり、その後セントヘレナ島に流されます。
その戦場跡にはすぐにオランダ王ウィレム1世が彼の息子のオラニエ公が負傷した場所に記念碑を建てるよう命じたので、このライオンの丘が作られました。ユゴーの『レ・ミゼラブル』に詳しい話がでています。
いずれにせよ、今のライオンの丘はゆったりとした起伏の広大な農地(ほとんどはジャガイモ畑です)のなかに建っています。上まで登れますので、訪れたらぜひ登って戦場跡をぐるっと眺めてみてください。さてひとつ質問です。この丘の上のライオンはどちらを向いているでしょうか。(答えは下の方)
遠くにライオンの丘が見えます。

けっこう急な階段を登ります

ライオンが迫ってきました

6月18日と書かれてます

上からの眺め

一面にひろがるジャガイモ畑

さて、質問の答えはそうです、フランスをにらんでいます。
Tp.福森
ライオンの丘はナポレオンの最後の戦いとなったベルギーのほぼ中央のいなかにあるワーテルローの戦場跡に作られた人工の丘です。ワーテルローはWaterlooと書き、英語読みだとウォータールー、フランス語読みだとワーテルローになります。ここベルギー以外にもアメリカ、カナダ、オランダ、イギリスなど各地に同じ地名がありますが、ここが一番有名だと思います。
ちょっと簡単に歴史を。1812年のモスクワ侵攻で手痛い敗北を期したナポレオンはその後もつづく敗退で1814年にエルバ島に流されルイ18世が王政復古で王位につきますが、旧態依然とした王政であったことから人心は離れ1815年2月にナポレオンが再びパリに戻ってフランス皇帝の座につきます。そして最後のワーテルローの戦いに臨むことになります。ウェリントン将軍率いるイギリス・オランダ連合軍とナポレオンのフランス軍の戦いは前日の小競り合いに引き続き6月18日それぞれ7万の軍隊でほぼ互角の勢力でぶつかりました。結果ご存知の通りナポレオンの2度目かつ最後の敗北となり、その後セントヘレナ島に流されます。
その戦場跡にはすぐにオランダ王ウィレム1世が彼の息子のオラニエ公が負傷した場所に記念碑を建てるよう命じたので、このライオンの丘が作られました。ユゴーの『レ・ミゼラブル』に詳しい話がでています。
いずれにせよ、今のライオンの丘はゆったりとした起伏の広大な農地(ほとんどはジャガイモ畑です)のなかに建っています。上まで登れますので、訪れたらぜひ登って戦場跡をぐるっと眺めてみてください。さてひとつ質問です。この丘の上のライオンはどちらを向いているでしょうか。(答えは下の方)
遠くにライオンの丘が見えます。

けっこう急な階段を登ります

ライオンが迫ってきました

6月18日と書かれてます

上からの眺め

一面にひろがるジャガイモ畑

さて、質問の答えはそうです、フランスをにらんでいます。
Tp.福森
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